2010年 01月 27日 ( 1 )

自信というもの



前回の日記に書かせて頂いたムジカノーヴァの特集記事を書かせて頂くにあたって、ロイヤルアカデミー在学中に受けていた「音楽家のためのメンタルトレーニング」の授業で使用したプリントやノートなどを押し入れの箱から掘り起こして色々眺めていました。

そんな中、最初の授業で使用したプリントに、「自分の演奏や、音楽家であることに対する不安などを、なんでも挙げてみましょう」という項目がありました。

その項目の下の空欄部分に、ひときわ大きい文字で当時の私が書いていたのが、

「自信がない」

という1文。


そう、私自身小さい頃から、自分の演奏に自信を持つということが本当に苦手で、

「さやかちゃんの演奏ね〜、きちんとは弾いているのだけど、あと一つ自信をばーんと持って弾ければね〜」

と言われることが、幼い頃から非常——にしばしば。私にとっては、「自信を持って弾けない」ということが、緊張してどうにかなっちゃうということ以上に、大きな問題でした。この走り書きを見る限り、ロイヤルアカデミーに入った頃の私にとっても、一番の問題はそれだったみたいです。


あれから3年、イギリスでも色々コンサートをさせて頂くようになって、「自信」という面で、少しは変わったかというと、


やっぱり変わっていません…(^—^;)


自信がないまま、お客さんの前で弾くのなんて失礼だ、そんなんならコンサートなんてしない方がいい、という意見も、もっともだと思うけど、どんなに練習したところで、練習しきったという事実には自信を持てても、自分自身のピアノに対してはやっぱり一向に自信が持てない。


でも、ここ1、2年。それでいいんだ、そのままでいいんだ、と受け入れることができるようになった気がします。


そのきっかけは、ほかでもないラフマニノフ。
彼の伝記を読んでいた時のこと。


自分の才能に絶対的な自信を持って、天才的に次から次へと曲を書き続けたモーツァルトなどとは対照的に、

ラフマニノフは、常に自分自身の自信の無さ、人からどう思われるかという不安や、傷つきたくないという不安と戦っていたと言われています。

特に、交響曲1番の初演失敗をきっかけに、自信喪失のどん底になり、鬱病で2年間の闘病生活を送り、その復帰作がかの有名な「ピアノ協奏曲2番」。この曲は、彼の精神科医であるダーリ氏に捧げられているというのは、良く知られた話です。

これ以後、ラフマニノフは自信を持って作曲活動や演奏活動を続けていたのかというと、実は全くそうではなかったそうです。

晩年になりピアニストとしても作曲家としても大成功し、どんな賞賛をもらっても、本当に信じきることができず、常に自分の才能への不安と戦っていたそうです。

晩年のラフマニノフの大作である「コレルリの主題による変奏曲」を、自分自身のコンサートで演奏する時にも、

「長過ぎるんではないか、お客さんは退屈して寝てしまうんではないか、席を立ってしまうんではないか」と常に不安で、

観客の顔色を伺いながら、途中で咳が聞こえたり、観客が退屈そうな気配を感じ取ると、その場でバリエーションをいくつか削除して演奏していたこともあったそうです。

ラフマニノフの伝記の中でその話を読んだ時、別に泣かせどころの箇所でもなかったのに、号泣してしまった私。

ラフマニノフでさえ、そうだったんだ…。

彼ほどの才能のある、世界中から賞賛されていたのに、
最後の最後まで、自分に自信は持てなかった。

人から拒絶されるのが怖くて、傷つくのが怖くて、
怖そうな外見の裏に、今にも折れそうな繊細で弱い心を抱えていたラフマニノフ。

ただの駆け出しのピアノ弾きである私みたいなのが自信を持てないのとは、比べ物にならないくらいの辛さだったろうなと思います。

---------------------

ラフマニノフの音楽には、迷いが不安が聴こえます。

どこへ行きたいのか、何を求めているのか。
自分でも分からなくなってしまうような混乱や、迷い。
外界を恐れるかのような不安。未来への不安。

そんな「迷い」のメロディや和音の中から、少しずつ一筋の道が見えてきます。
その道はだんだん太くなり、やがて、あらがえないような、とてつもない大きな力に導かれて、一つのところへ導かれて行き、その到達点には、必ずまぶしくて目を開けていられない位の圧倒的な「光」があります。

ラフマニノフの曲には、どの曲にも、必ずこの「光のポイント」があって、どんな小曲でも、このポイントに来ると、聴いていても弾いていても、無条件で涙が出そうになってしまいます。まるで自分の存在をそのまま認めてもらえた時のような、究極の安心感と、優しさ。


きっと、この「光」はラフマニノフ自身が求めている光なのかもしれないなぁと、思います。不安で迷い探し続けている先に、きっとあると信じている、光。

---------------------


私自身の話に戻ってしまいますが、

「ピアノを弾いている自分に疑問をもったり、やめようと思ったりしたことはありませんか?」

という質問を受けることが時々あります。

それについてまともに答えを考えると、
ずぶずぶと永久に考え込んでしまいそうになるので、たいてい、

「物心ついた時から弾いているので、ピアノ弾くのはゴハン食べたり息すったりしているのと同じような感じなので、疑問に思うことはなかったです」

と、あっけらかーーんと答えていることが多いのですが、

実際のところは、何万回とある気がします。


それは、

才能とかいう言葉以前に、自分にピアノを弾く資格があるのかという不安だったり、

世の中にこれだけ素晴らしいピアニストが溢れている中、もう一人、このロンドンの片隅でピアニスト人口が増えることが、この世の中にとって果たして本当に貢献していることなのかという疑問であったり、

世界中で飢餓や病気で苦しんでいる人がいるのに、私一人グランドピアノに向かって練習していていいのだろうかという疑問だったり、

そもそも自信がないままピアノを続けていていいのか、いつか本当に自信を持てるようになる日が来るのかという問いであったり。


それでも、どうしてもラフマニノフが好きで好きで、弾き続けて来て、
どういう訳かメロディがわき上がって来てしょうがなくて作曲をしてきて、

自分自身が感動したラフマニノフ曲は、もっと多くの人に知って欲しくて、

その結果、ステージでの演奏も続けて来て、今日この日までピアノを続けて来るに至っています。




きっと、この自分自身への、ぐるぐるぐるぐるした問いは、
ピアノを弾き続けて行く限り、これからずっと続くかもしれない。


けれども、

昔好きだった曲の歌詞にあったように、

「迷い探し続ける日々が答えになること」を信じて、

ラフマニノフの曲でいう「光のポイント」に到着できる日を信じて、

一歩ずつでも頑張っていけたら、と思います。



すみません、結論があるようなないような、とりとめのない独り言でした。
by sayaka-blmusic | 2010-01-27 09:30 | ひとりごと