気仙沼1日目 気仙沼と陸前高田

1月24日〜25日、ベビーモスリンプロジェクトで縫製をして下さっている気仙沼の NPO法人ピースジャムの皆さんとの打ち合わせや、縫製作業見学等の為に、気仙沼に行って来ました。

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東北新幹線一ノ関駅でドラゴンレール大船渡線に乗り換え。祖母の家がお隣駅の水沢江刺なので、一ノ関は小さい頃から何度も通っていたものの、ここで乗り換えて沿岸部に向かうのは初めてです。
2両編成、ワンマン運転で、電車の入り口で整理券をもらって料金を払う、バスと電車の中間のようなとっても温かな雰囲気の電車でした。

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東北らしい、ほっこりしたうららかな景色が続く中を、ゆっくりとガタゴト進んでいきます。

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1時間20分位で気仙沼駅到着。

NPO法人ピースジャムの代表佐藤さんが車で迎えにきて下さり、街中を案内して下さいました。

佐藤さんは、 ご自身も津波で家や財産を失い、 震災当時0歳の娘さんがいらっしゃり、娘さんの為にミルクを探しに薬局などを廻っていたところ、同じくミルクが無く何キロも雪の中サンダルで歩きながらミルクを求めて薬局を訪ね歩くお母さん達を見て、何とかしたいと思い立ち、まずはご自身のポケットマネーでひたすら隣町と往復してミルクを買い、困っている赤ちゃんやお母さん達に配ることを始められました。以後、活動はどんどんと広がり、気仙沼や東北各地の赤ちゃん達にミルクや必要物資を届ける「ピースジャム」としてずっと活動を続けていらっしゃいました。当時、ロンドンからの支援物資モスリンスクエアも、気仙沼の仮設住宅や保健所など多くの場所で配って下さいました。

その佐藤さんが、当時のことをお話下さいながら、気仙沼と陸前高田の沿岸部を案内して下さいました。

以下、沿岸部の現在の状況の写真など、アップするかどうか迷ったのですが、被災地の今の現状を知りたいという方もきっと多いと思ったのであえて写真をほんの一部ですがアップします。見るのは辛いという方、どうかスルーして下さい。

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気仙沼のマグロ船が市内まで打ち上げられ、現在は震災を忘れないためのモニュメントとしてあえて残されています。(気仙沼)

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漁業の街だった気仙沼。少しずつ再建が進んでいますが、一次産業、二次産業、三次産業含め、失った雇用の大きさはやはり計り知れなく、雇用支援が求められているのと同時に、誇りをもって漁業関係の職についていた特にご年配の方達にとっては、今から1から他の職業で再出発というのは色々な意味で辛く厳しいことで、そういった意味での対策も求められているとのことでした。(気仙沼)

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この辺りも、沢山の家が立ち並んでいたエリアだったそうです(気仙沼)

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気仙沼の漁業の中心だった建物(気仙沼港)

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陸前高田市。沿岸部からずっと奥の山まで、何も遮るものがなく平地が続くこの街は、逃げる高台がなく、多くの方が犠牲になった街です。何もないサラ地のように見えますが、多くの住宅や商店などでにぎわっていた街です(陸前高田)

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街の中心だったデパートの前で。このデパートも、岸辺からは大分離れた場所なのです。(陸前高田)

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5階マンションの4階部分まで津波がきた跡が、まざまざと残されています。(陸前高田)

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陸前高田。沿岸部から何キロも離れ、やっと津波の被害に合わなかった家が現れ始めます。しかし、家は残ったものの、震災後ライフラインは途絶え、物資も情報も届かず、いわゆる「在宅難民」の状態になり、本当に不便な毎日を強いられ方々が沢山いらっしゃるそうです。

現在でも、私が見渡した限り、この近くに日曜用品が買えるような店がありません。津波の被害から免れ、残った家々の周りにこそ、コンビニや、日常用品が買えるような商店が一刻も早く必要だと思うのですが、国は特定の一般企業には肩入れできないとかそんな理由で、なかなか進まないのだそうです。

当時モスリンも配って下さっていたNPOピースジャムさんは、震災後このような在宅難民の方々にも、一軒一軒ドアを叩いて赤ちゃんがいないか、困っていないか尋ね歩き、多くの赤ちゃん達にミルクや必要物資を届けていらっしゃいました。

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更地の中に突如現れたプレハブのピアノ教室。更地の中で、ピアノの音がかすかに聴こえて来た時は、本当にじわっと何ともいえない気持ちが広がって涙出そうになってました。人ごとと思えなくて、車から降りて近くまで歩いてたら中から先生と小学生の生徒さん達が二人わざわざ出て来て下さり、色々お話させて頂き、応援していますとお伝えすると、子供達も先生もとびっきりの笑顔で見送ってくれました。

後でネットで調べて分かったのですが、こちらのピアノ教室は、震災前は陸前高田市で一番多くの生徒さんが通うピアノ教室だったそうです。「震災後初のピアノ発表会」の記事を見て、涙が溢れました。もし宜しければ、是非記事を読んで見てみて下さい。

「震災後初のピアノ発表会を支援【岩手・陸前高田発】 J-castニュース」
http://www.j-cast.com/2012/12/17158437.html?p=all


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陸前高田から気仙沼に戻り、ホテルにチェックイン。今回宿泊した気仙沼復興支援の宿「ホテル望洋」は、港の高台に位置しているため津波被害を免れ、当日避難してきた市民の方々に宿を開放し、震災後50日間は避難所としてその役割を果たしてきたそうです。現在は、主に復興関連業者やボランティアの方達の宿泊として使われ、一部は今も避難されたご家族が、生活されているとのことです。

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ホテルに戻って休憩している間に、震災後に気仙沼の離島大島でのモスリン配布を中継して下さった、Mさんが尋ねてきて下さいました。当時大島在住で、家を流されてしまったMさんは、現在は気仙沼に在住しながら、大島の観光復興のお仕事に関わっていらっしゃいます。大島は椿と柚子が名産。上はイメージキャラクターの「木春ちゃん」と「柚花ちゃん」だそうです。「現在は観光で大島にいらして頂くのも大歓迎で、多くの方に来て欲しいです!」と仰っていました。私も次回は是非大島に足を伸ばしたいなと思っています。気仙沼からフェリーで30分位の離島です。

そして夜は、ピースジャムのスタッフの皆さんが気仙沼の中でもとびきり美味しいという「ぴんぽん」という海鮮居酒屋に連れて行って下さいました。
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上の写真は、ピースジャム代表の佐藤さん、スタッフの齋藤さん、高橋さんと一緒に。
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こちらは気仙沼名物だという鮫の心臓のお刺身!意外にもあっさりしていて食べ易く美味しかったです。他にも、いかわたのお刺身や、「スープにフカヒレ150円で追加できます」など、気仙沼ならではの格安びっくりメニュー満載で、とっても美味しくあたたかなお店でした。なんでも気仙沼は小学校の給食にフカヒレが出たりすることもあるんだそうです(!)

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このあたりも、元々津波に流されてしまったエリアなのですが、今は「南町紫市場」として、津波で流されてしまったお店が皆で集まり、力を合わせて商店街を作っているエリアです。気仙沼ではこの他にも「復興屋台村 気仙沼横丁」が同じく復興商店街です。

翌日は、いよいよ気仙沼の縫製チームの皆さんとお会いして、ベビーモスリンの縫製現場に立ち会わせて頂く予定です。

翌日の日記「気仙沼2日目 ベビーモスリン縫製現場&工場予定地見学」へ
by sayaka-blmusic | 2013-01-27 15:42 | ベビーモスリンプロジェクト | Comments(0)
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