原発近くの村から避難されてきたママさんを囲んでの会

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前回の日記の続きです。6月16日は、モスリンスクエアプロジェクトの第8便発送のためのパッキング会の後、原発近くの村から避難されてきたチエミさんを囲んでのランチ会を行い、パッキングメンバー皆でお話を聞かせて頂く機会がありました。

チエミさんとお知り合いになった経緯ですが、チエミさんがイギリスに避難されてきた後、インターネットでたまたまモスリンスクエアプロジェクトのことを知って下さり、E-mailにて「イギリスから東北支援をして頂いて、少しでも皆様にお礼を申し上げたくて」とご丁寧なメールを下さったのがきっかけです(お礼どころか、私達は本当にほんの少しのことしかできていないのに・・)。チエミさんご自身、日本では乳幼児のお母様方を対象にアロマテラピーや自然育児に関するお仕事などをされていたこともあり、モスリンスクエアプロジェクトのママさん達と皆さんで一度食事会をしましょうという話の流れになりました。


このブログを読んで下さっている皆様とも、是非このお話を共有したく、
以下、チエミさんご本人のご了解を得て、聞かせて頂いたお話の一部を書かせて頂きます。

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チエミさんは、福島原発から車で20分位の村に、イギリス人のご主人と9歳、8歳、6歳の3人のお子様と一緒に、自然に囲まれた環境で念願の自給自足の生活をしながら住んでいらっしゃいました。自宅からも福島原発の煙突が見え、その辺りの地域の小学校の遠足といえば、福島原発見学・・という位、原発は身近にある村だったそうです。

地震の日は、なんとか家は大きな被害は受けず、元々自給自足で、電気もガスもなるべく使わない生活(薪でゴハンを炊き、水は井戸水)をされていた為、ライフラインがストップしても、今まで通りの生活をその晩は送られたそうです。電気がストップしていたのと、元々TVがない状態で過ごしていた為、一体東北で何が起きたのか、この時点ではまだ把握されていなかったそうです。

しかし翌日、原発から立ち上る煙を見た近所の人達から原発爆発の噂を聞き、着の身着のまま、スノーブーツを履いて、3人のお子さん達とご主人と一緒に、車でまずは山形へ避難、ガソリンが尽き、7時間待ってガソリンを入れた後、その後大阪の知人を頼り移動。その移動の最中に、石巻のご両親が奇跡的に助かり避難所にいることを人づてに知ったそうです。その後、マレーシア、シンガポール経由で、ご主人(イギリス人)の実家であるイギリスのケントに最終的に辿り着いたとのことです。全て自宅に置いてきたままなので、イギリスに着いた時には、全部で紙袋一つに入る位の荷物・・。色々な方のご協力を得て、今やっとイギリスでの生活が少しずつ落ち着いていらしたところだそうです。

元々は東京ご出身のチエミさん、自給自足の生活を求めて移住し生活していた日本のその村では、3年かかってキャンプ生活をしながら、家族皆で手作りで理想の家をようやく建て、野菜やお米を育てて生活していたところだったそうです。子供達も1反ずつ自分の田んぼを持っていたそうです。

その矢先の、地震と原発の事故。。。。

3年かかって家族で作り上げたばかりの理想の家を残しての避難。
恐らくこの先何十年もその家に戻れることはないだろうし、
これから先の生活もどうなるか全く分からないとのことです。

今でも食卓には原発爆発の知らせを聞いた瞬間まで食べていた夕食のゴハンが食卓に乗ったまま、子供達が遊んでいたトランプが部屋にそのまま置かれたまま、だそうです。

津波のように、家が流された訳ではなく、今でも見た目は一切変わらずそこにあるのにも関わらず、もう帰ることができない家・・。

津波の被害の様子の報道に比べて、原発の放射能被害のみを受けている村や、そこから避難していらした方々の声等についての報道は少なく、私達も心の準備ができていなかったこともあり、私達もチエミさんご本人の口を通して伺うお話は、あまりにもショッキングで、一同、最初は声も出ませんでした・・。


「今までの人生で、殆どのことは『これはこれからの先の為に何か意味があったんだ』と思えてきたし、そういう風に思うのが割と得意な方だったはずなのに、今回のことに関しては、まだなかなか思うことができないんです・・」

と仰っていて、その言葉を聞きながら、私が普段悩んでいること、行き詰まっていることなんて、本当になんてちっぽけなことだったんだろう、本当に苦しくなりました。


チエミさん曰く、
「何故原発の近くに住んだのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、今の日本では、自然に囲まれた田舎に住もうと思ったら、殆どの場所が、50キロ圏内には原発があるんです。そしてそこで作られる電気は、そこに住んでいる人達は実際殆ど使っていなくて、東京などの都心のために使われます。」
とのことです。


でも、チエミさんご自身が、ある日、原発労働者の住む宿舎に行かれる機会があり、福島の原発のはずなのに、殆ど東北弁が聞こえてこなかったことに(つまり殆どが出稼ぎ労働者)衝撃を受けたそうです。そして、これだけの雇用を生み出している原発って、一体何なのだろう・・と思い、それ以来、むやみにただ「原発反対」と叫ぶだけでなく、まずは自分自身が電気をなるべく使わない生活を送り「私は電気を使わないので、原発は必要ありません」と言えるようにしよう、と思うようになったのだそうです。


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原発賛成とか反対とかの直接的な議論はここではあえて控えますが、
でも、今日チエミさんのお話を聞いて心から思ったことは、もう二度と、チエミさんのような思いをされる方が出て欲しくない、ということ。そして、未だに日本で放射能の不安に脅かされながら住んでいるママさん達や赤ちゃん達が、早く安心して暮らせる日が来ること。

その為には、今起きている事故が一刻も早く収束に向かうこと、 今後の日本のエネルギー政策が、こんなにも辛い思いをされる方が二度と出ない為のものであること。

これから、パッキングメンバー一同、被災地への、日本への、ますます強い祈りを込めながら、活動を続けて行きたいと思っています。
by sayaka-blmusic | 2011-06-19 00:35 | ベビーモスリンプロジェクト
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